千利休の祥月命日は2月28日と伝えられています。
旧暦なので現在だと3月か4月にあたります。
切腹を命じられた理由は様々な説があるようですが、、とにかく約七十年の生涯に自ら幕を引いたようであります。
この特別な日、全国の茶人は床に利休さん由来のものをかけたり、お茶とうをしたり、菜の花を入れたりして遺徳を偲びます。
周り花や周り炭など七事式を行う場合もあります。
利休さんの有名な遺偈・・・
人生七十 力囲希咄
吾這寶剱 祖仏共殺
提ル我得具足ノ一太刀
今此時ソ天ニ抛
解釈が非常に激しく難しくて、どう向き合うべきかわかりません。
大きくズレているような気もしますが、今の私なりの解釈を述べていいのであれば・・
この時代には、世を去るとき何か残すのは礼儀だった。
引用となる句があるといえども、なんと激しいのだろう。
利休にとって寶剱は茶であると推察されます。
いかなる権力や政治的な圧力にも、茶は屈しない。
それを体現したように思うのです。
利休はきっと弁明すれば許される立場にあったように思います。
しかし、しなかった。
命より大切なものを示すため。守るのではなく、生かすため。茶の心を。
利休は自分が死んだあと、茶が栄えることも、その後、堕落することもわかっていたように感じます。
しかし、どうやら茶の道、茶の世界は残った。
韓利休の数奇な巡り合わせもあるかもしれないけれど、辞世の句は、すべての茶人の背筋がゾクッとなる言の葉をあえて選んだように感じるのです。
本当の意味で茶の道は何なのか。問い続け、求め続け、失い続けなくてはならない。
そういう厳しいエールを現代の茶に携わるすべての人におくっているように感じられるのです。
古田織部も山上宗二も、そういう最後を迎えていることが、それを暗に物語っているように感じるのです。茶は美の宗教であると柳宗悦が述べるように、命をも懸ける覚悟でその世界を生きていたのです。
それはまさに武士の一分なのです。
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